すみさんの旦那さんの佑一さんは、とってもお話しが好きで、ひとたび話し出すと止まりません。すらすらと流れるように、品のよい話し方をする素敵な方でした。そのたくさんの言葉の中に、人生に大切なことのキーワードがちりばめられているような気がしました。
仕事のしすぎでリウマチになってしまった足と手は、とても重労働な農作業の現実を物語っています。ですが、表情は明るくとても若々しい印象を受けました。

3年くらい前からピアノを習い始めているそうです。毎日練習をしてとても楽しいとのことで、1曲披露しますと言って、何曲も何曲もひいてくださいました。
その後、息子さんとすみさんが、御前崎を案内してくださることになりました。

まずは、浜岡原子力館に連れて行ってもらい、今停止している浜岡原発と原発に対する地元の方々の複雑な心境を語ってくださいました。危険をかかえながら近くに住むことの恐怖と、原発が停止することで職を失う人たち、それによって原発で働く人たちを相手にする商売が廃っていく・・・。反対か賛成かと問われても、半々の気持ちだとしか答えられないとおっしゃっていました。

その後、御前崎港をドライブしてくださったのですが、バスで一睡もできなかったせいで、私は車の中でうとうとしてしまいました。
次に目が覚めたときには港の船着場でした。息子さんは車を降り、慣れた手つきで船の準備を始めています。

びっくりして車外に出ると、「船酔いする?」と聞かれました。私は「船酔いするけど、乗りたいです!」と答えました。息子さんは農業のかたわら、乗り合い船を営んでいるそうです。


船酔いするどころか、私は突然やってきた気持ちいいクルージングに大興奮!!釣りしたーーーーーい!

そして海の見えるお寿司屋さんで昼食をご馳走になり、美味しい海の幸に舌鼓。それに静岡のお茶はとっても美味しかったです。
一緒にこうして時間を過ごしていることが時折不思議な気持ちになって、すみさんの方を見ると、「親戚みたいだねぇ。」とニコニコ嬉しそうに笑ってくださいました。
すみさんのお家にいったん戻り、帰りのバスの時間までゆっくりさせてもらうことになりました。近くを母と散歩することにしてしばらくいくと、ひとりのおばあさんが道の脇に腰掛けていました。

挨拶を交わし、「どちらの人?」と聞かれたので「あちらのすみさんのお宅にお伺いしているんです。」というと、「あぁ、すみさんはうちの親戚だよ。」と。
風船の縁でこちらにお伺いした話をすると、目を丸くして「その話、私も覚えてるよ!すみさんはあまり多くを語る人ではないけれど、そのことは知ってる。あの話がいまでも続いていたんだね!」とびっくりされていました。今、老人ホームへ行くバスを待ってるところだから、着いたらみんなに話すよとおっしゃっていました。
この穏やかな村の中に突然やってきた風船のお話は、すみさんの周りの人にも伝わっていたようです。
帰り際、待ち合わせの目印に持っていた風船を指差し、「風船は置いていきますね。」と言うと、「そうだね、また黄色い風船が会わせてくれるからね。」と、すみさん。
必ずまた会いに来ると約束し、次は泊まっていきなさいとご家族の方もおっしゃってくださいました。

黄色い風船の足跡を辿る旅、30年越しの夢が実現した忘れられない日となりました。
私はずっと、みんなとはぐれてひとりで旅をして、私とすみさんだけが繋がっていたと思っていました。
けれど本当は、すみさんのご家族やその周りの人と、私の家族や一緒に風船を飛ばした友達、そのみんなと繋がっていたのだということを知りました。
寄り添って旅をした仲間たち、最後まで一緒にいてくれたのがいったい誰だったのかは風船しか知らないけれど、もし、ひとりで旅をしていたらすみさんのところには辿りつかなかったのかもしれません。
この旅をしたことでもうひとつ嬉しいことがありました。
前々回のブログの記事を見て、風船を飛ばした小学校3年生の頃、とっても仲が良かった友達からメールをいただきました。彼女と探検をしたり、紙芝居を見に行ったり、押し花ノートを作ったり・・・たくさんの思い出が溢れてきました。ほとんど毎日一緒に過ごした大好きな友達。
今、彼女はアメリカに住んでいるそうです。このことも初めて知りました。
風船のお話が、遠い海の向こうまで届くとは予想もしなかった出来事でした。
自然の力によって引き合わされ、文字のやり取りを通じて心を繋ぎ、出会うことでまた新しい再会への約束に繋がりました。
人と人は偶然が重なって出会えるのかもしれないし、誰と出会うかは、はじめから決まっていることなのかもしれない。その本当のところはわからないけれど、ひとつひとつの出会いをどう捉え、どう行動するかによって、自分自身で未来を動かすことができるのを体感できた旅でした。

黄色い風船の旅には、もしかしたら、今はまだ知らない続きのお話があるのかもしれません。